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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)6237号 判決

判   決

宮城県仙台市行人塚七〇番地の二宮城刑務所在監

原告

大西克己

右訴訟代理人弁護士

津田騰三

東京都中央区日本橋蠣殻町一丁目三〇番地

被告

○○○○

右訴訟代理人弁護士

野村高助

右当事者間の昭和三六年(ワ)第六、二三七号損害賠償請求事件について、当裁判所は、つぎのとおり判決する。

主文

一、被告は、原告に対し、金三万円およびこれに対する昭和三六年一〇月八日から支払すみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は二分し、その一を原告、その余を被告の各負担とする。

事実

(原告の求める裁判)

一、被告は、原告に対し、金一〇〇万円およびこれに対する昭和三六年一〇月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は、被告の負担とする。

(被告の求める裁判)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は、原告の負担とする。

(当事者双方の事実上および法律上の主張)

(原告の請求原因)

一、原告は、殺人、死体遺棄および死体損壊罪により昭和三四年一二月二三日水戸地方裁判所において死刑の言渡しを受け、その判決の確定により現在収監中の死刑囚である。

二、原告が有罪の認定を受けた犯罪事実は次のとおりである。

(一)  原告は、家庭内の不和から、同居していた自己の実母大西シズエの義母大西クマと夫福松(戸籍上は原告の父母となつていた。)に対し殺意を抱き、昭和三〇年六月一日、山口県下関市在の自宅において右福松、クマの両名に青酸ナトリユームを投入したジユースを飲ませてこれを殺害した。

(二)  原告は、昭和三一年一月下旬頃東京で知り合つた訴外三浦昭夫を殺して同人になりかわり警察の追求をまぬがれようと考え、同年二月七日、岡山県倉敷市内の墓地において、胃腸薬に混入した青酸ナトリユームを服用させて同人を殺害した。

(三)  原告は、さらに同様の目的から、たまたま知り合つた訴外佐藤忠を殺して同人になりすまそうと考え、昭和三三年一月一一日水戸市内において、日本手拭で同人を絞殺した。

(四)  原告は、(三)の犯行をかくすため、佐藤の死体を近くの笹藪に引きずりこみ、その鼻頭、拇指、陰茎を切り取り、顔面および両手に切創を加え、さらにその頭部、顔面、頸部等に濃硫酸を浴びせかけ、その各部位にそれぞれ腐蝕性変化を与えた。

三、原告は、上記地方裁判所の判決に対して控訴の申立てをし、該事件は東京高等裁判所刑事第九部に係属し、昭和三五年二月一五日、弁護士である被告が原告の国選弁護人に選任され、被告はこれを受任した。そして右事件の控訴趣意書の提出期限は、同年三月末日と指定された。

四、被告は、原告の国選弁護人を受任後、昭和三五年二月二五日から三月一八日まで七回にわたつて右刑事事件の記録九冊を順次閲覧したが、原告が同年三月八日付および同月一九日付の被告あての手紙でそれぞれ控訴趣意書が書けないからよろしく御教導を乞う旨を懇請したのに対しては、単に同月二一日付の葉書をもつて控訴趣意書は期限までに当方で提出するからこれ以上手紙を出さなくてもよい旨返答したのみで、原告と面接の労をとることもなく、また上記記載の閲覧以外になんらの調査をすることもなく、卒然として同月二三日「原告の行為は戦慄を覚えるもので、原審が刑法第一九九条、第四六条および第一〇条第三項を適用したのは当然と思料される」との趣旨の同日付控訴趣意書を東京高等裁判所に提出した。しかも被告は、右のごとき内容の控訴趣意書を提出するについて原告の同意、了解を得なかつたことはもちろん、その事実をも原告に知らさず、同年六月六日ひらかれた右控訴事件の公判期日においても単に右控訴趣意書に基づいて控訴趣旨を陳述するにとどまつたので、原告はいかなる内容の控訴趣意書が提出されたかを全く知らず、同月一三日控訴棄却の判決を受けたのち右の判決謄本をとりよせ始めて被告提出の控訴趣意書の内容を知り、多大の精神的衝撃を受けたのである。

五、国選弁護人は、裁判所から任命されるものではあるが、いつたん選任されれば、被告人に対する関係においてもその正当な利益を擁護するために法の許容する範囲内において十分な弁護活動をする義務を負うにいたるのであつて、その義務の範囲および内容は、私達弁護の場合となんら異なるものではなく、国選弁護人が右の義務を故意または過失によつて懈怠したときは、これによつて生じた被告人の損害を賠償すべき責任を負うものである。ところで有罪判決に対する控訴事件における被告人の弁護人が尽すべき義務は、被告の利益となるべき適切な控訴理由の有無をまず原審訴訟記録について調査することはもちろん、必要があれば右訴訟記録外の資料についても調査すべく、少なくとも被告人本人について事情を確かめ、その不服とする理由を聴取し、控訴理由の発見に努むべきものであり、万一これらの調査によつても全く控訴理由となるべきものを発見しえなかつた場合には、被告人にその旨を告げ、被告人をしてみずから控訴趣意書を作成提出する機会を与えるべきものである。これらの義務の範囲および内容は具体的にはそれぞれの事件によつて多少の広狭はあるであろうが、死刑判決に対する控訴事件のごときにあつては、結果の重大性にかんがみ、弁護人の尽すべき弁護活動は十全のものであらねばならない。

これを本件についてみるに、被告は前記のように、単に原審の訴訟記録を閲読したのみで、他に何らの調査手段を講ずることなく、原告の手紙による要請にもかかわらず、面接その他の方法によつて原告から事情および不服理由を聴取することもなく、卒然として控訴理由なきものと判断し、原告の控訴権を否定するに等しい控訴理由なき旨の控訴趣意書を作成提出したのであつて、すでにその点において故意または過失に基づく弁護人としての義務違背が存するのみならず、仮に被告の本件について控訴理由なしとする判断がそれ自体としては、やむをえないものであつたとしても、かかる趣旨の控訴趣意書の提出が原告の期待を裏切ることになるのは明らかであるから、当然その旨を原告に告げて原告自身の善処を求め、かつこれを援助すべきであるのに、かかる挙に出ることなく、原告をして被告が原告に利益となるような控訴趣意書を提出してくれるものとの期待を抱かせたままこれに反する上記のごとき内容の控訴趣意書を提出し、原告をしてその主張提出の機会を失わせたのであるから、この点においても前同様の義務違背の責をまぬかれない。

しかして原告は、被告の右義務違背により前記刑事事件につき第二審の東京高等裁判所において自己の不服につき審理を受ける機会を失わしめられ、これによつて精神上重大な打撃を受けたものであり、この慰藉料の額は金一〇〇万円を相当とする。

六、よつて原告は、被告に対し右慰藉料金一〇〇万円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和三六年一〇月八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(請求原因に対する被告の答弁)

一、原告主張請求原因一ないし四記載の事実はいずれも認める。

二、同五記載の主張は争う。

国選弁護人は、いつたん選任を受けた以上正当の理由がない限り辞任できず、また受任前に事案の内容を知ることができない点が私選弁護と異なるが、一度弁護人として選任されたときは、私選国選を問わず弁護人としての義務が生じ、被告人に対する不当な権利侵害を排除し、その権利利益を保護しなければならないものであることは、被告もこれを認めるにやぶさかでない。

しかしながら、被告のした弁護活動は、原告に対する刑事被告事件の控訴審における弁護人のそれとしてなんら欠けるところはなかつた。すなわち、現行刑事訴訟法は、控訴審の性格を事後審としているのであるから、有罪判決に対する控訴審における弁護人の弁護活動にはおのずから限界があり、原審の記録に照らして原判決に事実誤認がないか、量刑が不当でないか、訴訟手続に違背はないか、その他の控訴理由となるべき点はないかのみを調査すべく、それ以上の調査をなす必要も義務もないのである。そして被告は、国選弁護人を受任後七回にわたつて尨大な原審訴訟記録九冊を全部閲覧し、上記諸点について綿密な調査を行つたが、遺憾ながら控訴理由となるべき点を発見することができなかつたのであり、控訴理由を発見することができないのによい加減な控訴趣意書を作成することは被告の弁護士としての良心の許すところではないので、結局控訴理由なき旨の控訴趣意書を提出せざるをえなかつたのである。およそ弁護権の本質は、被告人の権利利益に対する不当な侵害を排除し、これをまもることにあるのであるから、原審の訴訟手続においてなんらかかる不当な権利侵害が存在しない以上、控訴理由なき旨の控訴趣意書の提出によつても、弁護権の行使はなされたものというべく、弁護人としての義務違背ありとすることはできない。原告は、被告が原告と面接しなかつたことをうんぬんするが、控訴審の手続構造が上記のごとくである以上、弁護人として被告本人に面接しなければならない必要も義務もなく、また原告は被告に面接を求めたというけれども、原告が被告にあてた手紙は単に控訴趣意書の書き方を教えてくれというのみであつたから、被告としては自分の方で控訴趣意書を提出するからそのような心配の必要はないと返事したにすぎない。原告は、さらに弁護人として控訴理由なしと判断した場合には、被告人にその旨を告げ、被告人自身に控訴趣意書提出の機会を与えるべき義務があると主張するが、現行法令上弁護人にかかる義務を課した明文の規定はなく、またかかる義務の存在を肯定すべき根拠となるようなものは何もないから、被告につき右告知義務違背の責ありとすることはできない。

以上のとおりで、被告には弁護人としての義務違背は全くないから、原告の請求は失当である。

(証拠関係)≪省略≫

理由

一、原告主張の請求原因一ないし四記載の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二、本件における争点は、被告が原告に対する刑事被告事件の控訴審における原告の国選弁護人としてした行為がかかる国選弁護人としてなすべき義務に違反するものであつたかどうかである。すなわち上記当事者間に争いのない事実によれば、被告は原告の国選弁護人を受任したのち、前後七回にわたつて右刑事被告事件の第一審の訴訟記録九冊を順次閲覧し、右記録に基づいて控訴理由の有無を調査したが、結局正当な控訴理由なしとの結論に達し、控訴趣意書提出期限の八日前に原審の判決は相当である旨の控訴趣意書を提出した。しかし被告のした調査は右の記録閲覧のみにとどまり、それ以外には被告人である原告自身について面接その他の方法による調査を実施することすらせず、また原告が原判決のいかなる点について不服をもつているかを確かめることもしなかつたし、さらに上記のごとき内容の控訴趣意書の提出について原告の同意、了解を得なかつたのはもちろん、その事実を原告に告知することもしなかつたのであり、原告はこれを被告の国選弁護人としての義務に違反するものであると主張し、被告はこれを義務違反ではないと争つているのである。

そこで考えるに、刑事被告事件における国選弁護人は、憲法第三七条第三項後段、刑事訴訟法第三六条以下の規定により、貧困その他の事由により弁護人を選任することのできない被告人のために国が付する弁護人であつて、被告人自身が選任するいわゆる私選弁護人のように被告人と直接の委任契約関係には立たないけれども、あたかも後者と同様善良な管理者の注意義務をもつて弁護活動を行なうべき法律上の義務を被告人に対する関係において負担するものであり、その弁護人として尽すべき義務の内容および範囲は国選であると私選であるとによつてなんら異なるものではない。国選弁護人に選任せられることが比較的低廉な報酬を受けるだけで高度の弁護活動を要求せられることとなる点において弁護士にとつてひとつの強制的な負担であるとしても、これは弁護士の公共的職業者たる性格に随伴する責務として甘受さるべきもので、これがため上記義務内容に生ぜしめるわけのものでないことはもちろんであり、被告もあえてこれを争つてはいない。

ところで有罪の第一審判決に対して被告人が控訴し、右控訴審において被告人のために弁護人が選任せられた場合においては、現行刑事訴訟法が控訴審の手続にいわゆる事後審としての性格を付与し、控訴審はもつぱら原判決の当否を、しかも原則として訴訟記録および原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実のみに基づいて、審査すべきものとしている関係上、弁護人のなしうる弁護活動にもおのずから限界があり、弁護人は第一次的には訴訟記録について法定の控訴理由の有無を調査すべく、かかる調査が控訴審における弁護人の弁護活動、したがつてまたその義務の中核をなすものということができる。しかしながら、この義務はいわば弁護人としての調査義務の最小限をなすものであつて、法は右の事実以外にも例外的に第一審弁論終結前に取調を請求することができなかつた証拠によつて証明することのできる事実も控訴理由とすることができるものとし、刑の量定については第一審判決後の事情も考慮されるものとしているから、弁護人の調査活動の範囲も、場合によつては当然訴訟記録外に及ぶべきことが予想されるのである。殊に、訴訟記録について綿密な調査を行つてもなお適当な控訴理由を発見することができなかつた場合には、弁護人としては当然上記のような例外的事実または事情の有無を考慮すべく、訴訟記録上かかる事実または事情発見の手がかりとなるようなものが全く存在しない場合には、少なくとも被告人自身につきこれらの点の調査を実施することが弁護人の義務として要求せられるものといわなければならない。そして以上の各場合における控訴理由の有無の判断にあつては、極力自己の主観的見解を避け、被告人にとつて最も有利な観点から、判断すべきものであることはいうまでもないところである。

次に、以上のような調査を尽してもなお適当な控訴理由を発見することができなかつた場合にはいかにすべきかというに、かかる場合弁護人としては、被告人に対し卒直にその旨を告げ、被告人の言い分を十分に聴取し、その不服とするところがいかに被告人に有利に解しても全くなんらの控訴理由をも構成しえざるものである場合には、その旨を指摘し、被告人がなお不服を維持するというのであれば、弁護人としては、被告人の名においてする控訴趣意書の作成について必要な技術的援助を惜しまないが、それ以上被告人の期待するごとき協力をすることができないことを告げて被告人の善処を求むべき義務あるものと解するのが至当である。けだし、弁護人に対してそれ以上の行動を求めることは、その者の弁護士としての良心および公共的責務に反することを要求することになるし、他方被告人は、たとえそれが主観的、恣意的なものであるにせよ、弁護人に対して自己に有利な弁護活動がなされることを期待するのが通常であり、またそれは無理からぬところであるから、弁護人がかかる期待を被告人の不知の間に裏切ることは、結局被告人をしてその意に反して裁判所に自己の不服を主張する機会を失わしめる結果となる可能性を有するからである。被告は、現行法令上なんらの規定がないから弁護人にかかる告知義務ありとすることはできない旨主張するけれども、法令上規定の存在しないことは、もとよりかかる義務の存在を肯定する妨げるとなるものではない。

本件において、被告は上記のように、原告の国選弁護人を受任後原審の訴訟記録を閲読したのみで直ちに適切な控訴理由なきものと判断し、原告自身について控訴理由発見の手がかりとなるごとき調査はもちろん、その他の調査をもなさず、卒然として原判決はまことに相当であつてこれを不当とすべき理由がない旨の控訴趣意書を提出し、かつ、その前後を通じて原告に右事実を告知せず、しかも原告が控訴趣意書の書き方について教示を求めたにかかわらず、被告は自分の方で控訴趣意書は提出するから手紙を書かないでよい旨の返書を出したのみでそれ以上なんらの処置もとらず、原告はこれがため当然被告において原告に利益となるようなしかるべき控訴趣意書の提出をしてくれるものと信じて自己固有の控訴趣意書の提出を断念したのであるから(この最後の事実は前記当事者間に争いのない事実と原告本人尋問の結果によつてこれを認めることができる。)、被告は国選弁護人としてなすべき上記のような義務を尽さなかつたものというのほかなく、しかも右は被告の過失に基づくものというべきであるから、被告は原告に対し、これがためそのこうむつた損害の賠償をなすべき一種の債務不履行または不法行為による責任をまぬかれないといわなければならない。

三、よつて進んで損害の有無およびその額について判断する。原告が本件において求めているのは、被告の義務違反によつて原告がこうむつた財産上の損害ではなく、精神上の苦痛に対する慰藉料である。そして債務不履行の場合たると不法行為の場合たるとを問わず、これによつて精神上の利益を害された者は、場合によりかかる無形損害に対する相当額の慰藉料を請求しうることはもちろんであるが、いかなる場合にいかなる額の慰藉料を認めるのを相当とするかについては、さらに慎重に検討せられなければならない。

本件において、原告は、被告の義務懈怠によつて当然原判決を変更すべき事由となるような適切な控訴理由を提出する機会を失わしめられたことを具体的に主張立証してはいないから、被告の義務違反によつて原告がこうむつた精神上の損害なるものは、結局被告が十分な弁護活動をしなかつたことに対する不満と、被告の義務懈怠により、原告が理由の有無にかかわらずともかくも自己の有する不服を控訴審裁判所に提出してその判断を受ける機会を喪失したことによる損害の二点に尽きると考えられる。しかし前者のごとき不満は、国選弁護人としての被告に対する期待が裏切られたという点において原告に精神上の苦痛を生ぜしめるものであるにしても、具体的な結果と離れてこれのみをもつて直ちに慰藉料の支払義務を認めるに足るほどの損害と認めることはできない。

これに反し後者については、現行刑事訴訟法が有罪判決を受けた刑事被告人に控訴権を与えた趣旨が、ひとり不当な原判決によつて有罪とせられた被告人の利益を保護するためばかりでなく、原判決を不当と考える被告人に対して自己のその見解が正当であるかどうかについて上級審の判断を受ける機会を与え、被告人に対してその利益保護のための十分な手段を尽すことを得しめるという手続的正義の要求に基づくものであり、被告人は、客観的にはいかに理由なき不服であつてもなおこれを裁判所に提出してその理由の有無につき判断を受ける主観的な利益を法によつて保障されているものであることから考え、かつまた、有罪判決がその内容のいかんにかかわらず被告人の人格に対し与える重大な影響にかんがみるときは、刑事被告人がかかる意味の控訴権を奪われたことによる精神上の苦痛は、それ自体としてその加害者に対してこれが慰藉料の支払義務を認めるに値する程度のものと解するのが相当である。本件において被告が原告になんらの告知をしないで控訴理由なき旨の実質上控訴権の放棄に等しい控訴趣意書の提出をし、原告をして当然しかるべき内容の控訴趣意書の提出がなされるものとの期待のもとにみずからの控訴趣意書を提出する機会を失うにいたらしめたことは、結局その義務不履行によつて原告の上記意味における控訴権を侵害したものというべく、被告は原告に対しこれがため原告のこうむつた精神上の苦痛に対する慰藉料の支払義務をまぬかれない。そこでその額について考えるに、ひとしく右のごとき控訴権の侵害による精神上の苦痛といつても、その程度は、言い渡された刑の内容、その判決の確定の有無、不服として主張しうべかりし事由の内容その他の事情によつて異なるべきは当然であるが、本件においては、原告に対する刑事被告事件の第一審判決が原告に現行法上の極刑である死刑を言い渡したものであり、結局において右判決が確定し、原告は現在刑の執行を待つ死刑囚であること、他方原告が控訴審において主張しようとした不服事由が何あでるか証拠上判然としないこと、原告自身その本人尋問において賠償金額のいかんは問題でない旨供述していること、被告が不十分とはいえ原審訴訟記録についていちおうの調査義務を尽し、控訴理由なき旨の控訴趣意書を提出したについても被告なりに自己の良心に忠実に従つたもので、そこに別段不純な意図や考慮はなかつたものと考えられること等の事情を考慮するときは、結局金三万円をもつて相当とすべきものと考える。

四、そうすると被告は、原告に対し、慰藉料金三万円およびこれに対する右損害の生じた後である昭和三六年一〇月八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よつて原告の請求は右認定の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条本文を適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第三〇部

裁判長裁判官 中 村 治 朗

裁判官 三 好 徳 郎

裁判官 稲 葉 威 雄

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